■昨日ふとピアノの演奏の動画を見たのですが、
その演奏を聴いて思わず感動してしまいました。
その感動を言葉で表現しろと言われても
非常に難しいです。
ですが、事実として、
感動したことは間違いありません。
■同じ曲であったとしても、
演奏をする人によって受け手の印象が
全くと言っていいほど変わってしまう
というのも大きな気づきでした。
今まで、
音楽を聴いて感動するということは
ほとんどなかったのですが、
今回、大きく感情を揺さぶられる経験をして、
改めて人の熱量が持つエネルギーはすごい、
そして、感動することの素晴らしさを
感じました。
この時、もう一つ思ったこととして、
感動に理屈などは存在しない、
ということが挙げられます。
■つまり、人は感動をしたい生き物であるが、
何によって感動するかと言うことは
実際に経験しないと分からず、
さらにその中身を言葉で説明することも
できないということです。
そう考えると、
感動の体験を増やすためには、
私達は自ら能動的に行動を起こし、
多くのことを体験する必要があると
言えるのではないでしょうか。
■とりわけ、多くの人が感動したという
体験については、おそらく人を感動させる要素が
非常にたくさん詰まっているのだと思われます。
であるならば、そういった感動を提供してくれる場に
積極的に足を運ぶと言うことが、
自らの感動する感受性を高めるために
重要といえるかもしれません。
■さらに突き詰めていくと、
私たちは他人に対しても感動を提供するという
使命があると考えています。
そして、感動を提供できるようになるためには、
自らがたくさんの感動をする必要があるのです。
■イメージしてみてください。
今まで何に対しても感動をしてこなかった人が、
他人に対して感動を提供することができるでしょうか。
もしくはそういったイメージが湧くでしょうか。
おそらく、そういったイメージは
ほとんど沸かないのではないかと思います。
■そう考えると、感動を提供するために、
まずは自らが感動する、
そして自らが感動しやすいような体質を作る
と言うことが、人に価値を提供する上で
非常に重要といえるかもしれません。
さらに、自分が好き詰めようと思ったことと、
人に対して提供している価値が合致すれば、
最高の人生に近づいたということが
言えるかもしれません。
私が聴いた音楽を奏でた演奏家の方も、
音楽をするということが生き甲斐であり、
音楽を聴くことによって人が感動する姿を
見ることによって更にエネルギーが
増していくという好循環が生まれています。
そういった世界に入っていくためにも、
私達は感動を追い求めていく必要があると
言えるのではないでしょうか。
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今日のまとめ
・感動することに
理屈は存在しない。
・そして、私たちは
感動を求める生き物である。
・感動を提供するためには、
自らが感動体質になる
必要がある。
・だからこそ、感動体験を
意識的に増やすことが
重要と言えるのではないだろうか。
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